河村重治郎『新クラウン英文解釈』について

河村重治郎の『新クラウン英文解釈』は、とても上手に訳され、方法論的にも素晴らしいと思う。読み方は通訳の仕方によっているようだが、訳文と方法論は他の書籍では見たことがないと思う。何かの書籍によっているのだろうと予測はたつが、なかなか見つからない。

英語は、なかなか難しいので、よい参考書が欲しいものである。誤訳や不適切なことが書かれてあるものは、使用すべきではないと思う。

 

                           

南日恒太郎著 神田乃武校閲『英文解釈法』

966. The more important of these advances in science and the arts are not the mere improvements upon, or extensions of, anything that had been done before, but are entirely new departures, arising out of our increasing knowledge of and command over the forces of the universe.                                                        Wallace.

学術及び芸術に於けるこれ等幾多の進歩のうち、その重要なものに至ってはただ徒に前人の成した所を改良、若しくは拡張したものではなく、全くの新機軸で吾人が宇宙の天然力に対する知識及び支配の増進より来たものである。

南日恒太郎の訳は少しこなれてはいない感があるが、よく難解な英文を上手に訳していると思われる。c

小林清一・安藤貞雄『作家別 英米現代文の新研究』 

小林清一・安藤貞雄の『作家別英米現代文の研究』は、よく出来ていると思う。[注][訳][研究]皆、学を伺うに足る。

HILAIRE BELLOC(1870-1953)

 At this season a sky which is of so delicate and faint a blue as to contain something of gentle mockery, and certainly more of tenderness, presides at the fall of leaves. There is no air, no breath at all. The leaves are so light that they sildle on their going downward, hesitating in that which is not void to them, and touching at last so imperceptibly the earth with which they are to mingle, that the gesture is much gentler than a salutation, and even more discreet than a discreet than a discreet caress.

 They make a little sound, less than the least of sounds. No bird at night in the marshes rustles so slightly ; no man, though men are the subtlest of living beings, put so evanescent a stress upon their sacred whispers or their prayers. The leaves are hardly heard, but they are heard just so much that men also, who are destined at the end to grow glorious and to die, look up and hear them falling.

            ーHills and the Sea(1906)

 [注] this season , i.e. autumn. containの目的語は ″something″と ″more″. presides at the fall of leaves 「落葉を司っている高い空」が「落葉」を眺め下ろしている様を議長等が上座で司会しているのに譬えたもの。Cf. ″preside at a meeting″(会を司会する) air =breeze, light wind. breath=light current of air. 「風のそよぎ」sidle「斜行する、にじり進む」on their going downward=as they go dowrd. ″going″は動名詞で、″downward″はそれにかかる副詞。that which is not void to them「木の葉にとっては虚ではないもの」とは「空中」のこと。つまり、空中は、人間にこそ空虚かも知れないが、落葉にとっては、あたかも魚が水の中を泳ぎ、人間が道を行くようなもの、という理屈。″that which″=what.″void″=empty, vacant. and touching=and they touch. imperceptibly「それと知れぬほどそっと」<'perceive'(知覚する) the earth with which they are to mingle「木の葉と一緒になることになっている大地」'mingle with'は、ただ、「混じる」というよりも、木の葉と大地が擬人化されていて、「付き合う、交際する」という気持ち。'be+to-Infinitive'は、ここでは″予定″を表す。Ex.‘ We are to meet at six. ’(6時に集まることになっている。)salutation「会釈」<‘salute’(に挨拶をする) and [is] even more..."even"=still, yet.比較級を強める。discreet「(行動・言葉が)慎重な」>‘discretion’(慎重) caress「愛撫」

 

青木常雄『英文解釈の研究』

Whoever has to deal with young children learns that too much sympathy is a mistake. Children readily understand that an adult who is sometimes a little stern is best for them ; their instinct tells them whether they are loved or not , and from those whom they feel to be affectionate they will put up with whatever strictness results from genuine deire for their proper development.

 

 本問も第一文が Key Sentence となる。だからまず第一文を征服し、その上でその内容を頭に入れて第二文を以下を読む練習をしよう。

 第一文 Whoever has to deal with young childrenまでが主語。「小さな子供たちを相手にせねばならぬ人は誰でも」。例えば母親とか、乳母とか、幼稚園の先生とか。learns = comes to know = 「知るようになる」。learns that too much sympathy is a mistake. この名詞節はlearnsのObjectだ。「あまり多くの同情は誤りだということを(知る)」子供は可愛がってやるがよい。同情も必要だが、同情も過ぎては誤りだ、とさとるのである。さてその続きは?

 第二文の前半は Children readily understand that an adult who is sometimes a little stern is best for them ; 迄だが、これは前文の要旨「子供に対してあまり同情し過ぎるのは誤りだ」の理由らしい。細かに調べてみよう。Children readily understand「子供たちはすぐに了解する」。何を了解するのか。that...以下のことを了解するのだ。

 全体は「子供たちは、時には少し厳しい大人が彼らに一番ためになるということを容易に了解する」となる。なるほどこれは「子供に過度の同情は誤りだ」の理由の一つだ。さて後半はどうだろう。

 後半は instinct tells them whether they are loved or not で始まっている。まずこの部分の意味を確かめよう。これも第一文の所説の理由と見られるだろうか。their instinct tells them whether they are loved or not の斜体の部分は名詞節で、tells の直接目的。「子供たちの本能は子供たちが愛されているかいないかを子供たちに告げる」。自分達が愛されているかいないかを、小さい子供たちは本能で知るのだから愛されていると思えば、少しぐらい厳しくされても何とも思わない、というのであろう。ここまでは第一文の論旨が通っている。さて最後が本問の「山」である。落ち着いて読まないとやり損う。

 最後の部分は and from those whom they feel to be affectionate で始まっているが、 and は「そして」でよいか「だから」の方がいいか。先を読まぬと判断がつかぬ。affectionate = full of affection = 「愛情豊かな」。those whom they feel to be affectionate = 「子供たちが愛情豊かだと感じる人たち」すなわち「子供たちが自分達を愛してくれると思う人たち」のこと。 put up with ~は「~を我慢する」。何を我慢するというのだろう。whatever strictness results from genuine deire for their proper development がそれだ。この Noun Clause が put up with のObjects なのだ。落ち着いて考えなくてはいけないと言ったのはここのことだ。何度も繰り返して読んでみる。単語としては strictness = 「厳格」「きびしさ」。results (from~)はPredicate Verbらしいが、主語は何だろう。strictness だろうか、whatever strictness  だろう。whatever は複合(または合成)関係代名詞だろうか、複合(または合成)関係形容詞だろうか。genuine desire = true desire. 最後のproper  development は「適当な進歩・発展」か「正しい成長」か。何といってもwhatever が難しい。少し横道に外れるが、次の諸例を見よ。

 cf.  a) l read whatever is interesting.

          b) l read whatever book is interesting.

 a)のwhatever は関係代名詞で anything that と言い換えられる。だから l read whatever is interesting .= l read anything that is interesting. = 「私は面白いものなら何でも読む」。

 さて本問の whatever strictness results from... はb)の whatever book is interesting と形が似ているから、関係形容詞と考えて言い換えてみると、whatever strictness results from... = any strictness that results from...「...から来るところのどんな厳しさでも」。これでよさそうだから from those whom they feel to be affectionate から終りまで訳してみると、「子供たちは、子供たちを可愛がってくれると感じる人たちから子供たちの正しい成長への真の願望からくるどんな厳しさでも我慢するだろう」となるが、このままでいいだろうか。from はいつも「から」とばかり訳さず工夫することが肝要だ。From the look of the sky, we shall have rain this afternoon. なら「空模様から判断すると午後は雨だろう」となるように。本問の from those whom they feel to be afectionste は「子供たちを可愛がってくれる人たちからならば」とするといい。その前のさっき預かっておいた and は「だから」が適訳。

【試訳】幼い子供たちを相手にせねばならぬ人ならば誰でも、過分の同情は誤りだと知る。時々少し厳しくしてくれる大人が子供たちに一番ためになるということを子供たちは容易に了解する。子供たちの本能は、子供たちが愛されているかいないかを子供たちに教える。それだから、子供たちを可愛がってくれていると子供たちが感じる人からなら、子供たちの正しい成長を真に望んでの厳しさなら、どんな厳しさでも我慢するだろう。

この書籍は、全体の内容をよく考えて訳しているところが他の書籍と違うと思う。

   

 

 

 

CLASS FIELD THEORY 類体論講義 シュヴァレー

シュヴァレーの類体論の講義を日本語訳したいと思います。類体論は、ヒルベルトから始まり、高木貞治により研究され、アルティンに受け継がれたとても大切な理論だと思います。

 

                            Introduction 

 

 これらの講義の目的は、聴講者に類体論コホモロジーの方法の使用を紹介することだった。

 類体論とは、代数のK体の可換非分岐拡大とKのイデアル類の群の間に存在する関係で、最初ヒルベルトによって発見された。ヒルベルトの結果は、殆ど推測の方法で、その上、ヒルベルトは、殆ど全てのKのイデアルは「絶対類体」(単項イデアル定理)となるという定理、今、基本的な現象としてより主定理の当然の結果として現れているということに対して興味を持っていたように思われる。厳密的な意味においての類体論は、高木とアルティンによって作られた。

『思考訓練の場としての英文解釈』について

『思考訓練の場としての英文解釈』はよくいいと言われるが、訳文に問題があるように思われる。

Indeed, most of us are little more than bundles of habits neatly done up in coat and trousers.

実際我々は大抵、習慣を束ねて出来上がった藁人形が洋服を着てズボンをはいて乙に澄まし込んでいる、といった所がまず実情である。

これは、

実際、私たちの殆どは、上手くコートとズボンで着飾った習慣の塊でしかない。

となるのではないだろうか。

 

シェイクスピア『ハムレット』"To be, or not to be―that is the question; "

シェイクスピアの『ハムレット』に

 To be, or not to be―that is the question;

とあるが、このbeは、デカルト

 cogito, ergo sum.

のsumやアウグスティヌス

"Quid si falleris. Si enim fallor, sum. Nam qui non est, utique nec falli potest; ac per hoc sum, si fallor. Quia ergo sum si fallor, quomodo esse me fallor, quando certum est me esse, si fallor."

のsumに当たり、「(私が)存在する」という意味で「(私が)存在するかしないかーそれが問題だ。つまり、」という意味だと思います。セミコロンもきちんと訳すことも大切だと思われます。坪内逍遙が生きるか死ぬかと訳したのは日本語過ぎますが、少しは妥当な訳だと思います。また、坪内逍遙は哲学的に訳したのではなく、現実的に訳したので、ここの訳を哲学的というのは勘違いだと思います。