細江逸記博士の蔵書目録である『細江文庫目録』と渡部昇一博士の『渡部昇一言語学関係蔵書目録』は、必ず古英語の研究に資するところがあるだろう。
湯川 特に日本の若い人の場合を考えると、ものを考えるということは、一番直接の手段は、言葉で、いや、手段といっては悪く、ことば自身が思想であらうと思う。ところが、思想を表現する為の日本文、日本語そのものの学力が昔よりずっと落ちている。英語その他の外国語の語学力も落ちているが、それ以前に、日本語の習得という問題がある。何かを表現するには不十分ということを感じる。つまり、言葉というものは、客観性を持っているものであると同時に、いつも使う人の主体性の裏付けが必要である。ところが、使う人の語学力が低いと、言葉自身が非常に舌足らずで、十分その意味がわからない様なものになってくる。これは、他所から見ておかしいとか、
『カレッジクラウン英和辞典』は、英和辞典の中でも白眉にして、参考書の一つとして必備の英和辞典だと思う。
奥井潔の『Choice exercises』は、夙に有名であるが、Choice exercisesの意味が精選英文問題集で、大学の入試問題から精選した英文という意味であることは、余り知られていないのではないだろうか。しかし、それ故に価値が下がるというわけではないが、英文の文章が少し短い嫌いがあるのではないだろうか。
内藤濯は、フランス文学の泰斗であり、
昨今の日本では、口語と口語文とがごっちゃになっている。書くことが口語文の存在条件だのに、それを無理やり、話すほうに持って行こうとする。だから、言葉それ自身が少しも生き生きとしていない。いや、むしろ死んでしまっている。したがって、言葉を聞く相手は、命のない言葉を無意味に聞かされるだけである。
吉川美夫の『新英文解釈法』は、柳瀬 尚紀が大学生時代から使用し、大変激賞していた書籍で、