清成孝『英文解釈一日一題』

清成孝は、成田成寿と『絶対英文法』を著していて、この『英文解釈一日一題』は、大変よく出来ていると思う。

(1) High above the city, on a tall column, stood the statue of the Happy Prince.  He was gilded all over with thin leaves of fine gold, for eyes he had two bright sapphires, and a large red ruby glowed on his swordhilt. (O. Wilde : The Happy Prince)

[解説]  英文解釈にあたってまず第一に大切なことは、「何が」「どうした」という関係をはっきり掴むことである。「何が」は主語、「どうした」は動詞によって表されるが、主語がいつも文の始めにあるとは限らない。文を読む場合には、「何がどうしたか」を常に念頭において、文の始めから、書いてある順序に従って理解するように努めることが大切である。

 次に文の語順にっ従って上の文を考えて見よう。

(第一文) High above the city「市街の上に高く」on a tall column「高い円柱の上に」stood「立っていた」ここまで読むと「何が立っていたか」という疑問が残る。その疑問に答えるのが次に来る主語 the statue of the Happy Prince 「幸福な王子の像」である。こうした語順の文と、普通の主語+動詞で始まる文との読者に与える印象の相違を考えて見れば、文の語順の意義と、その語順に従って理解することの大切なことが分かると思う。

(第二文) He was gilded「彼は金箔を被せられていた」状態を表す。「金箔を被せられた」という受身の動作ではない。gilded は形容詞と考えられる。all over「すっかり、全身の残らず」with thin leaves of fine gold「純金の薄い箔で」for eyes「眼としては、眼には」he had two bright sapphires 「彼は二個のキラキラ光るサファイアを持っていた」and「そして」a large red ruby「大きな赤いルビーが」glowed「輝いていた」on his sword-hilt「剣の柄の上に」

[訳例] 市街の上に高く、高い円柱の上に幸福な王子の像が立っていた。純金の薄い箔を全身に被せられていて、眼の代わりには二つのキラキラしたサフィアが付いており、大きな赤いルビーが剣の柄に輝いていた。

 日本語でもそうであるが文章上倒置を教えることや、説明が繁瑣であることが問題であると思うが、説明が詳しく訳もよく出来ていると思われる。今日英文解釈にあたって伝統の様なものがこの文章を読むと途切れているのではないかと思う。

 

 

河村重治郎・吉川美夫『英単語熟語練習』

河村重治郎の著書に『英単語熟語練習』という書籍があり、その中に「英文解釈の方法」というものがある。参考になると思われるので、記載したいと思う。

         英文解釈の方法

 読者は本書によって単語・熟語の研究が十分出来たとして、次にこれを英文の解釈に役立てなければ何の益にもならないのである。ここで我々は英文は如何に解釈されるべきものであるか、その正しい方法について語る必要を感ずるのである。

 そもそも英文は読んでそのまま理解されるべきである。一度文を読んでみて、それからゆっくり様々な順序で語句を辿りつつ意味を考えるべきではないのである。多くの人は「訳」ということと、「解釈」ということを混同しているが、これは非常に悪い誤りである。英文を解釈する時には、訳ということは全然考えるべきでものではない。大事なことは意味を取ること即ち内容を理解することである。意味を取る方法が解釈法である。これは我々が機会あるごとに唱導している方法であるが、我々はこれを直解式解釈法と名付けている。多くの人は問題を見ると先ず下読をするのであるが、我々に取ってはこの下読というものがない。文頭の第一語から解釈の努力が始まるのである。それで我々は問題の全文を始めから示されなくとも、何等苦痛を感じないのである。我々は英文を読み、英語を聞く時に、一語一語一句一句、読むままに又聞くままに、文意を脳裏に把握するのである。その点日本語を理解する場合と少しも異なることがない。これが最も正しい英語の解釈法であり、又これ以外に英語の解釈法はない筈である。受験生であるからといって、別に特殊な英語解釈法を求める理由は毛頭ないのである。何故ならこれは最も正しい方法であるのみならず、又これ程簡易な又応用し易い方法は他に無いからである。我々は次に実演的にこの英文解釈の方法を示そうとしているのであるが、諸君はよく一語一語一句一句に対し、我々の頭が如何に働いて文の意味を取って行くかに注意し、この方法をの真髄を理解するよう努められたい。

 Moreーこれだけで正しい考えを纏めることは容易ではない。もう少し続けて読む。

 More has been addedー「もっと多くが加えらえた」「もっと多くのことが加えられた」。現在完了には、「今迄に」「今もその加えられたものが残っている」等という心持が表されている。さて、addは自動詞にも他動詞にも用いられるが、自動詞の時は、add to...として「・・・を増す」の意味であるが、他動詞としてはadd A to B で「BにAをみたす」の意味である。「もっと多くが加えられた」という以上「何に」という事が当然頭の中に来なければならない疑問である。次に「もっと加えられた」という以上「何に」という事が当然頭の中に来なければならない疑問である。次に「もっと加えられた」という以上「何よりも」という事も当然考えられなければならぬ事である。又「何に依って」加えられたかという事も思い浮かぶであろう。そうするとこの書き出しに依って我々はこの文章に対して大体次の想定をすることができる。

 「Aに依ってよりもBに依ってXに尚多く加えられた」

 「Yに加えられたよりもXに尚多く加えられた」(何に依って?)

 文の解釈は敵軍の征伐と同様だと我々が前に言った言葉は、こういう風に数語の意味から全文の意味に対する想定を立てつつ、解釈の鉾を進めて行くことを指したのである。

 併し人間の考えは実に多種多様を極めるものであるから、今我々がこう想定した事が時に外れないとも限らぬ。その時には又その時の態度を決めることにして、兎に角次の語句に進んで行こう。

 to the sumー「総計に」。何の?

 of humman knowledgeー「人間知識の」(総計に)。これで大体の意味が落ち着いた。即ち先に我々がXとして置いたものがthe sum of humman knowledgeとして表れて来た。この文がこれから如何に発展して行くか、次の語句に就いてこれを見よう。

 in most of the sciencesー「大多数の科学に於ける」(人間知識の総計)。「人間知識」を一層正確にした句である。

 during the first quarterー「始めの四分の一に於いて」(もっと多くが加えられた)。加えられた時期を指す。「始めの四分の一」とは何の?

 of the twentieth centuryー「二十世紀の」(最初の二十五年間に於て)。

 than in any whole century previous,ー「以前の如何なる全世紀(=満百年)に於けるよりも」(尚多くの事が二十世紀の最初の二十五年間にXに加えられた)。A=any whole century previous, B=the first quarter of the twentieth centuryである。ここでcomma があって文が中断されることを示している。

 and,ーこのcommaは何を示すであろうか?普通なら全く不要なものである。無論これは次に挿入句の存在を示す目印である。路傍に立っている「この先き左へ急カーブあり、注意せよ」の信号標が多くの自動車運転手の心を引き締めるように、このcomma は我々の心に大きな意味を伝えている。

 what is more importantー「見地から」(もっと重大な事に)。

 of the historianー「歴史家の」(見地から...)。このcommaは挿入句の結末を示すもので、これから本当にandに続く部分が出てくる筈である。それは恐らくこの文の前半に対する一個の文ー主語・述語を具えたーであるであろう。

 all the sciencesー「凡ての科学は」。どうした?

 have been...?ー受身になって来るか、進行形になって来るか、それとも形容詞又は名詞が続いて「・・・であった」となるか?

 have been more quicklyーまだよく分かって来ない。比較が表れて来たから後にthan...と来るだろう事が予想される。

 have been more quickly and extensivelyー「もっと速かに又広く」

 have been more quickly and extensively appliedー「もっと速かに且つ広くapplyされて来た」。これで兎に角文意が落ち着いて来た。apply には二三の異なった意味のある事は本書で学ぶことであるが、ここでは受身であるから勿論他動詞の場合にはapply  A to B で「AをBに応用する」の意味である。当然次にto B が予想される。それからthan...の来ることも忘れないでいよう。

 to daily lifeー「日常生活に」(応用されて来た)。

 than ever beforeー「曾て以前よりも」(尚速かに且つ広く)。最後のperiodと同時に我々は此処に全文の解釈を終わったのだ。

 More has been added  to the sum of human knowledge in most of the sciences during the first quarter of the twentieth century  than in any whole century previous, and, what is more important from the view-point of the historian, all of  the sciences have been more quickly and extensively applied to daily life than ever before.

 大概の科学に於る人智の総和は二十世紀初頭に於る二十五年間に於て、過去の如何なる百年間に於るよりも多く増加された。そして歴史家の見地からもっと重大なことに、凡ての科学は今迄の如何なる時代よりも一層急速に且つ広汎に人間生活に応用されて来た。

この演習によって諸君は単語の知識と語法・構文法の知識とが如何に相互に助け合いつつ、英文が解釈されて行くべきものであるかを、充分悟られた筈である。

 

河村重治郎は、日本人の様に二、三度全体を読んで文の意味を考えるのではなく、又、今の直読直解とは少し異なり文章の構造や意味を考えながらある纏まりのある文を読んでアメリカ人の様に文章を読んでいるようである。事の当否はともかく参考になる考え方であると思う。

河合茂『錬成英文解釈』

広島高等師範の河合茂の英語の学力は、卓越していると思う。広島高等師範の人間のほとんどがそうである。著書も見るべきものがあるように思われる。

Most people, when they are left free to fill their own time according to their own choice, are at a loss to think of anything sufficiently pleasant to be worth doing. And whatever they decide on, they are troubled by the feeling that something else would have been pleasanter.

  a. Most と a most の区別を問う。

  b. are at a loss の Subject を言え。

  c. whatever, whoever, however, etc. の -ever で終る    語は常に-[eve ]にアクセントがある。

  e. that 以下のClause はどのような役目をしている         か。又、that はどの様に訳すか。

  f.  なぜwould have ・・・の形を取っているか。

〔訳〕大抵の人々は、自分の好きなままに時間を過ごしても差し支え無いように許されると、するだけの価値のある程十分愉快な事を思い付くのに困ってしまう。そして、どんなことをすることに決めても、何か他のことをした方が一層愉快だったろうという感じに悩まされる。

Most conquests have been from north to south.

大抵の征服は北から南へ向かってなされた。 

You are free to go or stay.

行くも止まるも君の自由です。

The machine works according to physical laws.

機械は物理的法則によって動く。

I was at a loss what to do.

私は何をなすべきか当惑していた。

Everything worth having is different to get.

持つ価値があるものなら何でも手に入れることは難しい。

The story is worth hearing.

その話は聞くだけの価値がある。

〔注〕Most people 大概の人々。これは are at a loss に続く。are left free to・・・する自由な状態に置かれる。→勝手にして差し支ない。according to their own choice 彼等自身の選択、choose (動)選ぶ。accoding to に応じて。at a loss 当惑して。to think of 思い付く。of に注意。sufficiently 十分に。be worth dong なす価値のある。whatever they decide on は、Adverv Clause で譲歩を表す。「何に決めても」decide on 決定する・決意する。feeling と that 以下のClause は同格、that は「という」と訳す。something else もしそれ以外の何事(かをなしたならば)、仮定の意味を含んでいるので、would have ・・ ・ で受ける。

日本人が英語を不得意とする要因の一つに英文を読む絶対量と英語に対する知識の欠如、そして、未知の英単語の多さと学生の時からアメリカ人が読んでいる英文に接しないからだと思う。

 

中西信太郎『英文解釈の方法』

中西信太郎の『英文解釈の方法』は、欠点が全く皆無なほどよく出来ていると思う。

例題[8]

He who would do some great thing in this short life must apply himself to work with such a concentration of his forces as, to idle spectators, who live only to amuse themselves, looks like madness.

着眼と考え方 ①He...must apply himselfと続く。Heにwho would do some great thing in this short lifeという形容詞節がついている。

②He who would do...「~しようと望む人は」Heはある特定の人を指しているのではなく、一般の人を指している。would=wish to「~しようと望む」の意味であることに着眼。

③apply himself to work「仕事に精励する。仕事に打ち込む。」workは名詞。

④with such a concentration of his forces as…「~くらいに力を集中して」such~asを見逃さぬこと。

⑤as…looks like madness「~には狂気に見えるような」

⑥to idle spectators「怠惰な傍観者には」looks にかかる。

⑦who live only to amuse themselves「ただ面白く遊ぶためだけに生きている」spectators を修飾する。

[語句]

apply oneself to 「~に身を入れる」: He apply himself closely to the study of English.「彼は熱心に英語の勉強をした。」

consentration「集中」<consentrate(v.)アクセントの位置を間違いやすいから注意。

spectator「見物人; 傍観者」

amusement「娯楽」

(訳) この短い一生の間に、何か偉大なことを成し遂げたいと望む人は、ただ面白ろおかしく遊ぶためにだけ生きている怠惰な傍観者には狂気と思われるほどに力を集中して仕事に精を出さねばならない。

説明は適切で、他の誰よりも上手く訳していると思う。英語もやはり第一人者の先生について学ばなければならないと思う。

 

 

小西友七・酒井健三『英文解釈の着眼と工夫』

 『英文解釈の着眼と工夫』の著者である小西友七は、『ジーニアス英和辞典』や語法の研究で有名である。その『英文解釈の着眼と工夫』は、その名の通り英文解釈の着眼点と英文和訳の工夫について記述されている。

研究問題69.  The idea that the poor should have leisure has always been shocking to the rich. In England , in the early nineteenth century, fifteen hours was the ordinary day’s work for a man; children sometimes did as much, and very commonly did twelve hours a day. When meddlesome busybodies suggested that perhaps these hours were rather long, they were told that work kept adults from drink and children from mischief. (B. Russell)

【語句の研究】leisure=idle time, time free from employment. shocking「けしからぬ,不都合な」as much「同じだけ」ここでは15時間。 meddlesome 「お節介な」ーcf.meddle「干渉する」busybody「お節介な人, でしゃばり」adult=grown-up「大人」mischief 「いたずら」ーcf.mischievous「いたずらな」

【構文の研究】

① that the poor (people) ... leisureはideaと同格の名詞節。

② children sometimes did as much (work) の did はworked の代動詞。a day の a は per 「~につき」の意味。

③ and (kept) children from mischief と補って考える。

【解釈の工夫】

① the poor should have leisure は「極貧余暇を持つべきだ」とalso の意味を補って訳す。

② suggest をいつもとぐらい「暗示する」と訳すのはまずい。ここでは「言い出す」ぐらいよい。時には「提案する, 申し出る」などと訳すときもある。

【訳】貧乏人も余暇を持つべきだという考えは、金持ちにとってはいつもけしからん考えだった。イギリスでは、19世紀初期には、大人にとって15時間が普通の1日の仕事をする時間だった。子供でも時には大人と同じくらいの仕事をしたし、1日12時間働くのはごく普通のことだった。お節介なででしゃばりがな人がこんな時間は長過ぎるのではないかと言い出した時には、仕事をしていれば大人はお酒を飲むことを控えるし、子供はいたずらをしなくなると言い返された。

 【構文の研究】では上手く構文を叙述し、【解釈の工夫】ではよく英語と日本語の違いを説明している。また、日本語訳も適切である。日本語訳が適切であるのはよく原文の意を汲み取り、丁寧に日本語に訳しているからだと考えられる。

 英文を英文のまま理解する事は大切であるが、英文を適切で100%正しい日本語に訳すことに多くの時間をかけることはとても大切であると思われる。

 

 

 

フェルマーの最終定理(日本語訳)  

Andrew Wilesのフェルマーの最終定理の論文の日本語訳を書きたいと思います。

 

Annals of Mathematics 141 (3): 443-551

                             Modular elliptic curves

                                             and

                             Fermat's Last Theorem

(モジュラー楕円曲線フェルマーの最終定理

                 By Andrew Wiles                      

Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere :cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.

                Pierre de Fermat  

 立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。また、4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。私は、この定理に関して、真に驚くべき証明を見つけた。この余白はそれを書くには狭すぎる。                                                          ピエール・ド・フェルマー                                    

 もし任意の Q 上の楕円曲線が、X_{0}(N)\ からのモジュラー曲線によって有限被覆であるならば、任意のQ上の楕円曲線はモジュラーであると言われている。任意のそのような楕円曲線は、そのハッセ・ヴェイユのゼータ函数が解析接続し、一般の函数方程式を満たす性質を持つ。(私達がj-不変量はモジュラーであるという場合において)もし与えられるj-不変量の任意のQ上の楕円曲線がモジュラーであるならば、同じj-不変量の全ての楕円曲線はモジュラーであるということは簡単である。1950年代と1960年代に志村と谷山の研究に起因する有名な予想は、全てのQ上の楕円曲線はモジュラーであるというものである。しかし、その予想はただ1967年のヴェイユの書籍で(興味深い読み物の練習問題として)[We]広く知られるようになっただけだった。その書籍の中でさらにヴェイユは、その予想に対して概念の根拠を与えた。それは多くの場合で計算の上で検証されたが、その結果がこの書籍に記載される以前は、ただ有限個のj-不変量がモジュラーであると知られていただけだった。

 1985年にフライはこの予想はフェルマーの最終定理を含むという注目すべき論文を出した。その二つを関連付ける正確な論理は、ε-予想としてセールによって定式化され、それからこれは1986年の夏にリベットによって解決された。リベットの結果はただフェルマーの最終定理を演繹するための半安定の楕円曲線の予想を解決するためのものを必要とする。

 楕円曲線の研究の為のアプローチは、楕円曲線にするガロア表現によっている。ρpがQ上の任意の楕円曲線のp等分のGal( ¯Q/Q)の表現であると仮定し、しばらくの間ρ3を既約と仮定する。3の選択は重要である。なぜなら、ラングランズ・タネルの重要な定理が、もしρ3が既約ならば、ρ3もまたモジュラーであると証明しているからである。ρ3が3で半安定であると仮定の下、他の素数で、ρ3の分岐で弱い制限写像と一緒に、ρ3の全てのリフティングはモジュラーであると証明することによって進む。これを証明して私達は可換環論からよく知られているタイプの類数問題へと新しい議論の問題に関連づける。そして私達は[TW]の論文の助けを借りてこの問題を解決する。これは、Eがモジュラーであることは、関連した3進数の表現がモジュラーであることの必要十分条件として知られているので、Eのモジュラー性質を証明するのに十分である。