小林清一・安藤貞雄『作家別 英米現代文の新研究』 

小林清一・安藤貞雄の『作家別英米現代文の研究』は、よく出来ていると思う。[注][訳][研究]皆、学を伺うに足る。

HILAIRE BELLOC(1870-1953)

 At this season a sky which is of so delicate and faint a blue as to contain something of gentle mockery, and certainly more of tenderness, presides at the fall of leaves. There is no air, no breath at all. The leaves are so light that they sildle on their going downward, hesitating in that which is not void to them, and touching at last so imperceptibly the earth with which they are to mingle, that the gesture is much gentler than a salutation, and even more discreet than a discreet than a discreet caress.

 They make a little sound, less than the least of sounds. No bird at night in the marshes rustles so slightly ; no man, though men are the subtlest of living beings, put so evanescent a stress upon their sacred whispers or their prayers. The leaves are hardly heard, but they are heard just so much that men also, who are destined at the end to grow glorious and to die, look up and hear them falling.

            ーHills and the Sea(1906)

 [注] this season , i.e. autumn. containの目的語は ″something″と ″more″. presides at the fall of leaves 「落葉を司っている高い空」が「落葉」を眺め下ろしている様を議長等が上座で司会しているのに譬えたもの。Cf. ″preside at a meeting″(会を司会する) air =breeze, light wind. breath=light current of air. 「風のそよぎ」sidle「斜行する、にじり進む」on their going downward=as they go dowrd. ″going″は動名詞で、″downward″はそれにかかる副詞。that which is not void to them「木の葉にとっては虚ではないもの」とは「空中」のこと。つまり、空中は、人間にこそ空虚かも知れないが、落葉にとっては、あたかも魚が水の中を泳ぎ、人間が道を行くようなもの、という理屈。″that which″=what.″void″=empty, vacant. and touching=and they touch. imperceptibly「それと知れぬほどそっと」<'perceive'(知覚する) the earth with which they are to mingle「木の葉と一緒になることになっている大地」'mingle with'は、ただ、「混じる」というよりも、木の葉と大地が擬人化されていて、「付き合う、交際する」という気持ち。'be+to-Infinitive'は、ここでは″予定″を表す。Ex.‘ We are to meet at six. ’(6時に集まることになっている。)salutation「会釈」<‘salute’(に挨拶をする) and [is] even more..."even"=still, yet.比較級を強める。discreet「(行動・言葉が)慎重な」>‘discretion’(慎重) caress「愛撫」

 

青木常雄『英文解釈の研究』

Whoever has to deal with young children learns that too much sympathy is a mistake. Children readily understand that an adult who is sometimes a little stern is best for them ; their instinct tells them whether they are loved or not , and from those whom they feel to be affectionate they will put up with whatever strictness results from genuine deire for their proper development.

 

 本問も第一文が Key Sentence となる。だからまず第一文を征服し、その上でその内容を頭に入れて第二文を以下を読む練習をしよう。

 第一文 Whoever has to deal with young childrenまでが主語。「小さな子供たちを相手にせねばならぬ人は誰でも」。例えば母親とか、乳母とか、幼稚園の先生とか。learns = comes to know = 「知るようになる」。learns that too much sympathy is a mistake. この名詞節はlearnsのObjectだ。「あまり多くの同情は誤りだということを(知る)」子供は可愛がってやるがよい。同情も必要だが、同情も過ぎては誤りだ、とさとるのである。さてその続きは?

 第二文の前半は Children readily understand that an adult who is sometimes a little stern is best for them ; 迄だが、これは前文の要旨「子供に対してあまり同情し過ぎるのは誤りだ」の理由らしい。細かに調べてみよう。Children readily understand「子供たちはすぐに了解する」。何を了解するのか。that...以下のことを了解するのだ。

 全体は「子供たちは、時には少し厳しい大人が彼らに一番ためになるということを容易に了解する」となる。なるほどこれは「子供に過度の同情は誤りだ」の理由の一つだ。さて後半はどうだろう。

 後半は instinct tells them whether they are loved or not で始まっている。まずこの部分の意味を確かめよう。これも第一文の所説の理由と見られるだろうか。their instinct tells them whether they are loved or not の斜体の部分は名詞節で、tells の直接目的。「子供たちの本能は子供たちが愛されているかいないかを子供たちに告げる」。自分達が愛されているかいないかを、小さい子供たちは本能で知るのだから愛されていると思えば、少しぐらい厳しくされても何とも思わない、というのであろう。ここまでは第一文の論旨が通っている。さて最後が本問の「山」である。落ち着いて読まないとやり損う。

 最後の部分は and from those whom they feel to be affectionate で始まっているが、 and は「そして」でよいか「だから」の方がいいか。先を読まぬと判断がつかぬ。affectionate = full of affection = 「愛情豊かな」。those whom they feel to be affectionate = 「子供たちが愛情豊かだと感じる人たち」すなわち「子供たちが自分達を愛してくれると思う人たち」のこと。 put up with ~は「~を我慢する」。何を我慢するというのだろう。whatever strictness results from genuine deire for their proper development がそれだ。この Noun Clause が put up with のObjects なのだ。落ち着いて考えなくてはいけないと言ったのはここのことだ。何度も繰り返して読んでみる。単語としては strictness = 「厳格」「きびしさ」。results (from~)はPredicate Verbらしいが、主語は何だろう。strictness だろうか、whatever strictness  だろう。whatever は複合(または合成)関係代名詞だろうか、複合(または合成)関係形容詞だろうか。genuine desire = true desire. 最後のproper  development は「適当な進歩・発展」か「正しい成長」か。何といってもwhatever が難しい。少し横道に外れるが、次の諸例を見よ。

 cf.  a) l read whatever is interesting.

          b) l read whatever book is interesting.

 a)のwhatever は関係代名詞で anything that と言い換えられる。だから l read whatever is interesting .= l read anything that is interesting. = 「私は面白いものなら何でも読む」。

 さて本問の whatever strictness results from... はb)の whatever book is interesting と形が似ているから、関係形容詞と考えて言い換えてみると、whatever strictness results from... = any strictness that results from...「...から来るところのどんな厳しさでも」。これでよさそうだから from those whom they feel to be affectionate から終りまで訳してみると、「子供たちは、子供たちを可愛がってくれると感じる人たちから子供たちの正しい成長への真の願望からくるどんな厳しさでも我慢するだろう」となるが、このままでいいだろうか。from はいつも「から」とばかり訳さず工夫することが肝要だ。From the look of the sky, we shall have rain this afternoon. なら「空模様から判断すると午後は雨だろう」となるように。本問の from those whom they feel to be afectionste は「子供たちを可愛がってくれる人たちからならば」とするといい。その前のさっき預かっておいた and は「だから」が適訳。

【試訳】幼い子供たちを相手にせねばならぬ人ならば誰でも、過分の同情は誤りだと知る。時々少し厳しくしてくれる大人が子供たちに一番ためになるということを子供たちは容易に了解する。子供たちの本能は、子供たちが愛されているかいないかを子供たちに教える。それだから、子供たちを可愛がってくれていると子供たちが感じる人からなら、子供たちの正しい成長を真に望んでの厳しさなら、どんな厳しさでも我慢するだろう。

この書籍は、全体の内容をよく考えて訳しているところが他の書籍と違うと思う。

   

 

 

 

CLASS FIELD THEORY 類体論講義 シュヴァレー

シュヴァレーの類体論の講義を日本語訳したいと思います。類体論は、ヒルベルトから始まり、高木貞治により研究され、アルティンに受け継がれたとても大切な理論だと思います。

 

                            Introduction 

 

 これらの講義の目的は、聴講者に類体論コホモロジーの方法の使用を紹介することだった。

 類体論とは、代数のK体の可換非分岐拡大とKのイデアル類の群の間に存在する関係で、最初ヒルベルトによって発見された。ヒルベルトの結果は、殆ど推測の方法で、その上、ヒルベルトは、殆ど全てのKのイデアルは「絶対類体」(単項イデアル定理)となるという定理、今、基本的な現象としてより主定理の当然の結果として現れているということに対して興味を持っていたように思われる。厳密的な意味においての類体論は、高木とアルティンによって作られた。

シェイクスピア『ハムレット』"To be, or not to be―that is the question; "

シェイクスピアの『ハムレット』に

 To be, or not to be―that is the question;

とあるが、このbeは、デカルト

 cogito, ergo sum.

のsumやアウグスティヌス

"Quid si falleris. Si enim fallor, sum. Nam qui non est, utique nec falli potest; ac per hoc sum, si fallor. Quia ergo sum si fallor, quomodo esse me fallor, quando certum est me esse, si fallor."

のsumに当たり、「(私が)存在する」という意味で「(私が)存在するかしないかーそれが問題だ。つまり、」という意味だと思います。セミコロンもきちんと訳すことも大切だと思われます。坪内逍遙が生きるか死ぬかと訳したのは日本語過ぎますが、少しは妥当な訳だと思います。また、坪内逍遙は哲学的に訳したのではなく、現実的に訳したので、ここの訳を哲学的というのは勘違いだと思います。

清成孝『英文解釈一日一題』

清成孝は、成田成寿と『絶対英文法』を著していて、この『英文解釈一日一題』は、大変よく出来ていると思う。

(1) High above the city, on a tall column, stood the statue of the Happy Prince.  He was gilded all over with thin leaves of fine gold, for eyes he had two bright sapphires, and a large red ruby glowed on his swordhilt. (O. Wilde : The Happy Prince)

[解説]  英文解釈にあたってまず第一に大切なことは、「何が」「どうした」という関係をはっきり掴むことである。「何が」は主語、「どうした」は動詞によって表されるが、主語がいつも文の始めにあるとは限らない。文を読む場合には、「何がどうしたか」を常に念頭において、文の始めから、書いてある順序に従って理解するように努めることが大切である。

 次に文の語順にっ従って上の文を考えて見よう。

(第一文) High above the city「市街の上に高く」on a tall column「高い円柱の上に」stood「立っていた」ここまで読むと「何が立っていたか」という疑問が残る。その疑問に答えるのが次に来る主語 the statue of the Happy Prince 「幸福な王子の像」である。こうした語順の文と、普通の主語+動詞で始まる文との読者に与える印象の相違を考えて見れば、文の語順の意義と、その語順に従って理解することの大切なことが分かると思う。

(第二文) He was gilded「彼は金箔を被せられていた」状態を表す。「金箔を被せられた」という受身の動作ではない。gilded は形容詞と考えられる。all over「すっかり、全身の残らず」with thin leaves of fine gold「純金の薄い箔で」for eyes「眼としては、眼には」he had two bright sapphires 「彼は二個のキラキラ光るサファイアを持っていた」and「そして」a large red ruby「大きな赤いルビーが」glowed「輝いていた」on his sword-hilt「剣の柄の上に」

[訳例] 市街の上に高く、高い円柱の上に幸福な王子の像が立っていた。純金の薄い箔を全身に被せられていて、眼の代わりには二つのキラキラしたサフィアが付いており、大きな赤いルビーが剣の柄に輝いていた。

 日本語でもそうであるが文章上倒置を教えることや、説明が繁瑣であることが問題であると思うが、説明が詳しく訳もよく出来ていると思われる。今日英文解釈にあたって伝統の様なものがこの文章を読むと途切れているのではないかと思う。

 

 

河村重治郎・吉川美夫『英単語熟語練習』

河村重治郎の著書に『英単語熟語練習』という書籍があり、その中に「英文解釈の方法」というものがある。参考になると思われるので、記載したいと思う。

         英文解釈の方法

 読者は本書によって単語・熟語の研究が十分出来たとして、次にこれを英文の解釈に役立てなければ何の益にもならないのである。ここで我々は英文は如何に解釈されるべきものであるか、その正しい方法について語る必要を感ずるのである。

 そもそも英文は読んでそのまま理解されるべきである。一度文を読んでみて、それからゆっくり様々な順序で語句を辿りつつ意味を考えるべきではないのである。多くの人は「訳」ということと、「解釈」ということを混同しているが、これは非常に悪い誤りである。英文を解釈する時には、訳ということは全然考えるべきでものではない。大事なことは意味を取ること即ち内容を理解することである。意味を取る方法が解釈法である。これは我々が機会あるごとに唱導している方法であるが、我々はこれを直解式解釈法と名付けている。多くの人は問題を見ると先ず下読をするのであるが、我々に取ってはこの下読というものがない。文頭の第一語から解釈の努力が始まるのである。それで我々は問題の全文を始めから示されなくとも、何等苦痛を感じないのである。我々は英文を読み、英語を聞く時に、一語一語一句一句、読むままに又聞くままに、文意を脳裏に把握するのである。その点日本語を理解する場合と少しも異なることがない。これが最も正しい英語の解釈法であり、又これ以外に英語の解釈法はない筈である。受験生であるからといって、別に特殊な英語解釈法を求める理由は毛頭ないのである。何故ならこれは最も正しい方法であるのみならず、又これ程簡易な又応用し易い方法は他に無いからである。我々は次に実演的にこの英文解釈の方法を示そうとしているのであるが、諸君はよく一語一語一句一句に対し、我々の頭が如何に働いて文の意味を取って行くかに注意し、この方法をの真髄を理解するよう努められたい。

 Moreーこれだけで正しい考えを纏めることは容易ではない。もう少し続けて読む。

 More has been addedー「もっと多くが加えらえた」「もっと多くのことが加えられた」。現在完了には、「今迄に」「今もその加えられたものが残っている」等という心持が表されている。さて、addは自動詞にも他動詞にも用いられるが、自動詞の時は、add to...として「・・・を増す」の意味であるが、他動詞としてはadd A to B で「BにAをみたす」の意味である。「もっと多くが加えられた」という以上「何に」という事が当然頭の中に来なければならない疑問である。次に「もっと加えられた」という以上「何に」という事が当然頭の中に来なければならない疑問である。次に「もっと加えられた」という以上「何よりも」という事も当然考えられなければならぬ事である。又「何に依って」加えられたかという事も思い浮かぶであろう。そうするとこの書き出しに依って我々はこの文章に対して大体次の想定をすることができる。

 「Aに依ってよりもBに依ってXに尚多く加えられた」

 「Yに加えられたよりもXに尚多く加えられた」(何に依って?)

 文の解釈は敵軍の征伐と同様だと我々が前に言った言葉は、こういう風に数語の意味から全文の意味に対する想定を立てつつ、解釈の鉾を進めて行くことを指したのである。

 併し人間の考えは実に多種多様を極めるものであるから、今我々がこう想定した事が時に外れないとも限らぬ。その時には又その時の態度を決めることにして、兎に角次の語句に進んで行こう。

 to the sumー「総計に」。何の?

 of humman knowledgeー「人間知識の」(総計に)。これで大体の意味が落ち着いた。即ち先に我々がXとして置いたものがthe sum of humman knowledgeとして表れて来た。この文がこれから如何に発展して行くか、次の語句に就いてこれを見よう。

 in most of the sciencesー「大多数の科学に於ける」(人間知識の総計)。「人間知識」を一層正確にした句である。

 during the first quarterー「始めの四分の一に於いて」(もっと多くが加えられた)。加えられた時期を指す。「始めの四分の一」とは何の?

 of the twentieth centuryー「二十世紀の」(最初の二十五年間に於て)。

 than in any whole century previous,ー「以前の如何なる全世紀(=満百年)に於けるよりも」(尚多くの事が二十世紀の最初の二十五年間にXに加えられた)。A=any whole century previous, B=the first quarter of the twentieth centuryである。ここでcomma があって文が中断されることを示している。

 and,ーこのcommaは何を示すであろうか?普通なら全く不要なものである。無論これは次に挿入句の存在を示す目印である。路傍に立っている「この先き左へ急カーブあり、注意せよ」の信号標が多くの自動車運転手の心を引き締めるように、このcomma は我々の心に大きな意味を伝えている。

 what is more importantー「見地から」(もっと重大な事に)。

 of the historianー「歴史家の」(見地から...)。このcommaは挿入句の結末を示すもので、これから本当にandに続く部分が出てくる筈である。それは恐らくこの文の前半に対する一個の文ー主語・述語を具えたーであるであろう。

 all the sciencesー「凡ての科学は」。どうした?

 have been...?ー受身になって来るか、進行形になって来るか、それとも形容詞又は名詞が続いて「・・・であった」となるか?

 have been more quicklyーまだよく分かって来ない。比較が表れて来たから後にthan...と来るだろう事が予想される。

 have been more quickly and extensivelyー「もっと速かに又広く」

 have been more quickly and extensively appliedー「もっと速かに且つ広くapplyされて来た」。これで兎に角文意が落ち着いて来た。apply には二三の異なった意味のある事は本書で学ぶことであるが、ここでは受身であるから勿論他動詞の場合にはapply  A to B で「AをBに応用する」の意味である。当然次にto B が予想される。それからthan...の来ることも忘れないでいよう。

 to daily lifeー「日常生活に」(応用されて来た)。

 than ever beforeー「曾て以前よりも」(尚速かに且つ広く)。最後のperiodと同時に我々は此処に全文の解釈を終わったのだ。

 More has been added  to the sum of human knowledge in most of the sciences during the first quarter of the twentieth century  than in any whole century previous, and, what is more important from the view-point of the historian, all of  the sciences have been more quickly and extensively applied to daily life than ever before.

 大概の科学に於る人智の総和は二十世紀初頭に於る二十五年間に於て、過去の如何なる百年間に於るよりも多く増加された。そして歴史家の見地からもっと重大なことに、凡ての科学は今迄の如何なる時代よりも一層急速に且つ広汎に人間生活に応用されて来た。

この演習によって諸君は単語の知識と語法・構文法の知識とが如何に相互に助け合いつつ、英文が解釈されて行くべきものであるかを、充分悟られた筈である。

 

河村重治郎は、日本人の様に二、三度全体を読んで文の意味を考えるのではなく、又、今の直読直解とは少し異なり文章の構造や意味を考えながらある纏まりのある文を読んでアメリカ人の様に文章を読んでいるようである。事の当否はともかく参考になる考え方であると思う。

河合茂『錬成英文解釈』

広島高等師範の河合茂の英語の学力は、卓越していると思う。広島高等師範の人間のほとんどがそうである。著書も見るべきものがあるように思われる。

Most people, when they are left free to fill their own time according to their own choice, are at a loss to think of anything sufficiently pleasant to be worth doing. And whatever they decide on, they are troubled by the feeling that something else would have been pleasanter.

  a. Most と a most の区別を問う。

  b. are at a loss の Subject を言え。

  c. whatever, whoever, however, etc. の -ever で終る    語は常に-[eve ]にアクセントがある。

  e. that 以下のClause はどのような役目をしている         か。又、that はどの様に訳すか。

  f.  なぜwould have ・・・の形を取っているか。

〔訳〕大抵の人々は、自分の好きなままに時間を過ごしても差し支え無いように許されると、するだけの価値のある程十分愉快な事を思い付くのに困ってしまう。そして、どんなことをすることに決めても、何か他のことをした方が一層愉快だったろうという感じに悩まされる。

Most conquests have been from north to south.

大抵の征服は北から南へ向かってなされた。 

You are free to go or stay.

行くも止まるも君の自由です。

The machine works according to physical laws.

機械は物理的法則によって動く。

I was at a loss what to do.

私は何をなすべきか当惑していた。

Everything worth having is different to get.

持つ価値があるものなら何でも手に入れることは難しい。

The story is worth hearing.

その話は聞くだけの価値がある。

〔注〕Most people 大概の人々。これは are at a loss に続く。are left free to・・・する自由な状態に置かれる。→勝手にして差し支ない。according to their own choice 彼等自身の選択、choose (動)選ぶ。accoding to に応じて。at a loss 当惑して。to think of 思い付く。of に注意。sufficiently 十分に。be worth dong なす価値のある。whatever they decide on は、Adverv Clause で譲歩を表す。「何に決めても」decide on 決定する・決意する。feeling と that 以下のClause は同格、that は「という」と訳す。something else もしそれ以外の何事(かをなしたならば)、仮定の意味を含んでいるので、would have ・・ ・ で受ける。

日本人が英語を不得意とする要因の一つに英文を読む絶対量と英語に対する知識の欠如、そして、未知の英単語の多さと学生の時からアメリカ人が読んでいる英文に接しないからだと思う。