『谷川徹三対談集』

湯川  特に日本の若い人の場合を考えると、ものを考えるということは、一番直接の手段は、言葉で、いや、手段といっては悪く、ことば自身が思想であらうと思う。ところが、思想を表現する為の日本文、日本語そのものの学力が昔よりずっと落ちている。英語その他の外国語の語学力も落ちているが、それ以前に、日本語の習得という問題がある。何かを表現するには不十分ということを感じる。つまり、言葉というものは、客観性を持っているものであると同時に、いつも使う人の主体性の裏付けが必要である。ところが、使う人の語学力が低いと、言葉自身が非常に舌足らずで、十分その意味がわからない様なものになってくる。これは、他所から見ておかしいとか、